東京地方裁判所 昭和41年(ワ)965号 判決 1968年8月29日
原告 金鎮奎
右訴訟代理人弁護士 松島政義
被告 平山一成こと 申鉉式
右訴訟代理人弁護士 石原しげ子
右訴訟複代理人弁護士 太田惺
主文
被告は原告に対して金二十万円、およびこれに対する昭和四十一年二月十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は十五分し、その一を被告の、その余を原告の、各負担とする。
この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対して金三百三万円、およびこのうち金百七十万円に対する昭和四十一年二月十三日から、金百三十三万円に対する昭和四十三年二月十日から完済に至るまで各年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、および仮執行の宣言を求め、その請求の原因および被告の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。
≪以下事実省略≫
理由
(一)、本件土地がもと野瀬泰三の所有であったこと、本件土地について、昭和三十六年十一月八日野瀬泰三から入沢エワ、入沢三郎の持分を各二分の一とする、両名に対する所有権移転登記、入沢エワ、入沢登志雄の両名から田中慶三に対する所有権移転登記、田中慶三から原告に対する所有権移転登記がそれぞれなされていること、入沢エワ、入沢三郎が野瀬を被告として、東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第一〇一〇八号建物収去土地明渡請求事件の訴を提起し、昭和三十五年五月、右事件について訴訟上の和解が成立したこと、債権者入沢エワ、入沢登志雄、債務者野瀬泰三間の東京地方裁判所昭和三八年(ヨ)第一八〇〇号、第八七五七号事件の建物収去土地明渡断行の仮処分決定の執行によって、昭和三十八年十一月、十二月中に、本件土地のうちの本件建物敷地約三十五坪を除くその余の部分が更地となったこと、本件土地の北東隅に本件建物があり、これが野瀬から三和治金工業に賃貸されていたこと、本件建物のうち別紙物件目録(二)記載の建物は、登記簿上昭和二十五年から被告の所有名義となっていたこと、昭和三十九年一月、被告が本件原告を被告とし、東京北簡易裁判所昭和三九年(ハ)第一一号事件として、本件建物敷地約三十五坪について、被告が普通建物所有を目的とする賃借権を有することの確認を求める訴を提起したこと、昭和三十九年二月中に三和治金工業が本件建物から退去した後に、被告が本件建物に他人を居住させたこと、前記東京北簡易裁判所昭和三九年(ハ)第一一号事件において、被告が、昭和三十五年六月一日付の野瀬、被告間の本件建物敷地賃貸借更新契約書、および昭和三十五年六月分から昭和三十八年二月分までの本件建物敷地地代を野瀬が受領した旨の記載のある地代支払帳を書証として提出したこと、昭和三十九年十月十九日、原告が野瀬、および被告両名を被告とし、東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第一〇〇〇七号事件として、右両名が共同して原告に対して別紙物件目録(二)記載の建物を収去して本件建物敷地を明渡すことを求める訴を提起したこと、右事件で遠藤正直が証人として尋問されたこと、右事件の昭和四十年六月五日の口頭弁論期日において、野瀬が、昭和二十五年頃、野瀬は被告から金員を借受け、その担保として別紙物件目録(二)記載の建物を被告の所有名義とした、昭和二十九年頃、野瀬は被告に右借受金を全額返済したので、何時でも右建物の所有名義を野瀬に変更できるように、被告から委任状、印鑑証明書、右建物の権利証を受領し、これを所持している、右建物の所有名義人を被告のままとしてあるのは、右建物が非課税物件なので、費用をかけて登記簿上の所有名義を変更する必要がなかったからである、書証として提出された前記の賃貸借更新契約書、地代支払帳は訴訟のために被告と相談して作成したもので記載内容は虚偽である、という趣旨の供述をしたこと、昭和三九年(ワ)第一〇〇〇七号事件について昭和四十一年七月二十日、原告勝訴の判決言渡があり、これが確定したこと、昭和三九年(ハ)第一一号事件について同年十月二十五日請求棄却の判決言渡があり、これが確定したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
(二)、右(一)の当事者間に争いのない各事実、および≪証拠省略≫を合わせて考えると、次の事実が認められる。
(1) 昭和二十五年五月末頃、野瀬泰三は手形の割引等に関して被告に対して負担した約七十万円位の債務を担保するため、野瀬が所有していた本件建物、および他の木造瓦葺平家建工場一棟等の所有権を被告へ譲渡し、本件建物のうちの未登記であった別紙物件目録(三)記載の建物を除くその余の物件について、同年五月三十一日、いずれも被告に対する所有権移転登記を経由した。その後同年六月下旬頃に野瀬は被告の承諾を得て、右担保物件のうち本件建物を除くその余の建物を他へ売却し、その売得金で被告に対する債務のうち約五十万円位を弁済し、その後昭和三十二年秋頃までに数回に亘って前記の被担保債務を完済した。
(2) 本件建物は右のように担保として被告へ譲渡された後も引続いて、野瀬が経営する会社が使用していたが、昭和二十八年十月頃、野瀬によって、遠藤正直が経営する三和治金工業に対して、賃料月額五千円として賃貸され、昭和三十七年六月には、その賃料が月額一万円に改められ、右賃料は野瀬が受領していた。
(3) 昭和三十三年十一月十九日、野瀬は入沢三郎、入沢エワから四百万円を、弁済期昭和三十四年六月三十日として借受け、右借受金債務を担保するため、本件土地について抵当権を設定するとともに、右借受金債務を弁済期に弁済しないことを停止条件とする本件土地の代物弁済契約を結び、同日、本件土地について右抵当権設定登記、および停止条件付代物弁済契約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記がなされた。ところが、野瀬が右借受金の弁済をしなかったので、入沢三郎、入沢エワの両名が野瀬を被告とし、東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第一〇一〇八号事件として、前記仮登記の本登記、および本件土地の明渡等を求める訴を提起し、右事件について昭和三十五年五月二十八日、(イ)、野瀬は入沢両名に対して、前記の仮登記に基く所有権移転の本登記を昭和三十五年十一月十二日までに行ない、かつ、同日までに本件土地上に在る木造トタン葺平家建居宅一棟、建坪八坪七合五勺、木造瓦葺二階建事務所一棟、建坪十五坪、二階十五坪を収去して、本件土地を明渡す、(ロ)、野瀬が入沢両名に対して昭和三十五年十一月十二日までに六百万円を支払ったときは、入沢両名は右(イ)の請求権を放棄し、かつ前記の本件土地についてなされた仮登記、および抵当権設定登記を抹消するということを要旨とする訴訟上の和解が成立した。そして、野瀬が右(ロ)の金員の支払いをしなかったので、昭和三十六年十一月八日、本件土地について前記の仮登記に基づく入沢三郎、入沢エワに対する持分を各二分の一とする所有権移転の本登記がなされた。その後昭和三十八年二月九日、入沢三郎が死亡し、同人の本件土地共有持分二分の一を、妻入沢エワ、子入沢登志雄が相続し、本件土地は入沢エワ、入沢登志雄両名の共有となったが、昭和三十八年十一月に右両名から原告へ売渡され、同月十四日、その所有権移転登記がなされた。
(4) 野瀬は、前記の訴訟上の和解で定められた建物収去、土地明渡義務を履行しないのみでなく、収去すべき建物を多数の第三者に占有させ、かつその占有状態を変動させたため、前記の訴訟上の和解の調書に基く強制執行が再三執行不能となり、遂に昭和三十八年十一月、十二月中に東京地方裁判所(ヨ)第一八〇〇号、第八七五七号事件の建物収去、土地明渡断行の仮処分決定の執行によって、前記和解によって定められた建物の収去および本件土地のうち本件建物敷地を除くその余の部分明渡しが実現された。
(5) 前記の訴訟上の和解には、野瀬が本件建物を収去すべきことが定められておらず、本件建物は前記のとおり三和治金工業が野瀬から賃借して使用していたので、本件土地を買受けた原告が三和治金工業の代表者である遠藤正直と交渉した結果、両者の間に、昭和三十九年二月二十五日までに本件建物を原告に明渡すならば、原告が九十万円を支払うという約束ができ、三和治金工業は右約定期限までに本件建物から退去し、原告は右約束にしたがって、昭和三十九年二月中に遠藤に対して九十万円を支払った。ところが、三和治金工業が本件建物から退去した直後に、被告が高橋芝逸、斎藤稔夫らをして別紙物件目録(二)記載の建物の一部を占有させた。
(6) さらに、被告と野瀬は、前記のとおり被告の野瀬に対する債権を担保するため被告に譲渡された別紙物件目録(二)記載の建物の登記簿上の所有名義人が、被担保債権が弁済された後も、被告のままとなっていることを利用して、原告から本件建物敷地の明渡料を取得しようと謀り、昭和三十九年一月二十二日、被告が本件原告を被告とし、東京北簡易裁判所昭和三九年(ハ)第一一号賃借権確認請求事件の訴を提起し、前記(2)に認定したとおり本件建物が担保のため被告へ譲渡された後も、その使用収益は野瀬が行っていたので、野瀬、被告間には本件建物敷地について賃貸借契約等その利用に関する特段の合意がなされていなかったにもかかわらず、昭和二十五年五月三十一日に野瀬と被告の間に、本件建物敷地を普通建物所有の目的で、期間を昭和二十五年六月一日から三十年間、賃料一箇月一坪について三円とする賃貸借契約が結ばれ、右賃料は昭和三十五年六月一日に一箇月一坪について十円に改められたという虚偽の事実を請求の原因として、本件建物敷地について被告が、普通建物所有を目的とする、期間昭和二十五年六月一日から三十年間、賃料一箇月一坪につき十円なる賃借権を有することの確認を求めるとともに、右主張にそう虚偽の記載をした更新契約書、地代支払帳を証拠として提出し、昭和三十九年九月二十一日午後一時の第五回口頭弁論期日における被告(右事件原告)本人尋問において被告が右主張にそう虚偽の供述を、昭和四十年三月一日午後一時の第七回口頭弁論期日における証人野瀬の尋問において、野瀬が前記の被告の主張にそう虚偽の証言をした。これに対して、原告は松島政義弁護士を訴訟代理人として、被告の前記請求原因は、本件建物が登記簿上被告の所有名義となっていることを利用した虚偽の事実であることを主張して防禦に努めるとともに他方、昭和三十九年十月十九日、松島弁護士を訴訟代理人として、野瀬泰三、および被告両名を被告とし、東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第一〇〇〇七号建物収去土地明渡請求事件の訴を提起し、原告に対し右両名が協力して別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、本件建物敷地を明渡すこと等を求めた。これに対して、野瀬は右建物の所有、およびその敷地の占有を否認し、被告は、右建物、およびその敷地の占有を認めるとともに、抗弁として前記訴訟事件の請求原因と同一の事実を主張し、前記更新契約書、地代支払帳を証拠として提出して抗争した。しかし、その後被告が、右両訴訟事件の示談解決等によって原告から金員を取得しても野瀬にはこれを分与しないという意向を洩したことから、被告と野瀬の間に仲間割れが生じ、野瀬は顔見知りの池宮茂一に対して、野瀬が本件建物等を譲渡担保とした被告に対する被担保債務を完済したことによって、別紙物件目録(二)記載の建物の登記簿の所有名義を野瀬に変更するために被告から受領したという、被告の印鑑証明書、被告作成名義の委任状等を交付して、原告との示談交渉を依頼した。原告はその訴訟代理人松島弁護士から、前記両訴訟事件において、前記のような書面が証拠として提出され、野瀬、被告が前記のような被告の主張にそう証言、供述をしている以上、原告が前記両訴訟事件で勝訴することは極めて困難であるときかされていたので、池宮、野瀬らと交渉した結果、野瀬が前記訴訟事件において、真実を証言、供述したならば、原告は野瀬に対して百五十万円を支払うということを約束した。そして前記東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第一〇〇〇七号事件の昭和四十年六月五日午後二時の第五回口頭弁論期日における野瀬の本人尋問において、野瀬が、同事件における被告の前記の抗弁事実が虚偽であり、野瀬は被告から本件建物敷地の賃料を受領したことはなく、三和治金工業から受領した本件建物の賃料を被告に交付したこともなく、証拠として提出された前記の更新契約書、地代支払帳はいずれも野瀬と被告が訴訟のために作成したもので記載内容は虚偽である旨の供述をしたので、同日、原告は野瀬に百五十万円を支払った。右口頭弁論期日における被告の本人尋問において、被告も前記のとおり右訴訟事件で被告が抗弁として主張していた本件建物敷地の賃貸借契約が結ばれたことはない旨の供述をしたので、右口頭弁論期日において、被告の訴訟代理人は前記の被告の抗弁を撤回した。さらに野瀬は前記の東京北簡易裁判所昭和三九年(ハ)第一一号事件の昭和四十年九月二十七日午前十一時の第十回口頭弁論期日において、前記の本人尋問における供述と同趣旨の証言をした。
(7) 原告は、松島弁護士に対して、前記両訴訟事件を委任し、昭和三十九年四月二十九日、および同年八月三十一日に各訴訟事件の着手金としてそれぞれ五万円宛、両訴訟事件についていずれも原告勝訴の一審判決が確定したので、昭和四十一年一月九日、両事件の成功報酬として十万円を支払った。
右のように認められる。被告は、本件建物は昭和二十五年五月末に被告が野瀬に対して有していた債権のみを担保するために譲受けたのではなく、当時既に発生していた債権、および将来被告が野瀬に対して取得する債権を担保するため、いわゆる根担保として譲受けたものであるから、本件建物譲受当時被告が野瀬に対して有していた債権が弁済されても、本件建物所有権は依然被告に属しているものであると主張するが、被告主張のような根担保として本件建物所有権を被告に譲渡するという合意がなされたことを認めるに足りる証拠はない。≪証拠判断省略≫
(三)、前記(一)の当事者間に争いのない事実、および(二)に認定した事実によると、被告は、昭和三十八年十一月に原告が本件土地所有権を取得した当時、既に野瀬に対する被担保債権が弁済されたことによって被告が譲渡担保として取得した本件建物所有権が野瀬に戻っており、また本件建物敷地について賃借権を取得したことはなかったにかかわらず、昭和三十八年十二月から本件建物を占有し、野瀬と共謀して、東京北簡易裁判所昭和三九年(ハ)第一一号賃借権確認請求事件の訴を提起して、虚偽の事実を主張し、かつ虚偽の証拠を提出し、原告が提起した東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第一〇〇〇七号建物収去、土地明渡請求事件においても、虚偽の事実を主張し、かつ虚偽の証拠を提出して抗争し、これによって原告の本件土地所有権の行使を妨げたものであり、このような被告の行為は、原告に対する不法行為であるということができる。
(四) そこで、原告が主張する財産上の損害、および慰謝料額について考える。
(1) 野瀬に支払った百五十万円について、原告が野瀬との間で、野瀬が前記訴訟事件において、真実を供述、証言したならば、同人に対して百五十万円を支払うということを約束し、これに基いて百五十万円を支払ったことは、前記(二)の(6)に認定したとおりである。しかしながら、訴訟における証人、本人が真実を述べなくてはならず、虚偽を述べてはならないことは、法律上の義務であり、この義務の履行が金銭的対価の有無によって左右されるようなことは、絶対にあってはならないことである。したがって、真実の供述、証言に対してでも、対価を支払うというような約束は、その対価の多小にかかわらず、公序良俗に反するもので、無効なものといわなければならない。そして、このような公序良俗に反する行為によって損失を受けても、そのような損失は、法律上賠償を求め得る損害とはいえないと解するのが相当である。原告は、被告、野瀬が通謀して虚偽の証言、供述をし、虚偽の証拠を提出していた前記訴訟事件において、原告が勝訴してその権利を防衛するためには、右の金員の支払いは、止むを得ない行為であったと主張するけれども、被告と野瀬が通謀して虚偽の供述、証言をし、虚偽の証拠を提出していたことは前記認定のとおりであるが、原告が勝訴するためには、金員の支払いを対価として真実の証言を得ることが止むを得ないものであったということを認めるに足りる証拠はない。かえって、≪証拠省略≫に記載された被告の主張事実と甲第七号証の記載内容相互間の矛盾、および池宮茂一を通じて原告に対してなされた野瀬の申入の内容、その交渉の経過を主張、立証すること等によって、前記各訴訟事件における被告の請求、抗弁を排斥することは可能であったであろうと推認される。したがって、原告の右主張は採用できない。また、判例が地代家賃統制令に違反して支払われた権利金や賃料、道路運送法に違反する無免許運転による得べかりし利益を、不法行為と相当因果関係ある損害として、その賠償を認めていることからすれば、原告の野瀬に対する金員支払いによる損害も賠償されるべきであると主張するが、右の前者の判例(最高裁判所昭和三十八年一月二十五日)は、当時の社会情勢においては、特別の事情のない限り、実際に支払われた程度の権利金、家賃を支払うのでなければ、一家の住居とすべき家屋を入手できないことが事実であり、真に止むを得ずして支出した金員であったということを理由とするものであり、後者の判例は(最高裁判所昭和三十九年十月二十九日)は、道路運送法第四条一項に違反する営業であっても、その営業の過程で締結される運送契約が私法上当然無効となるべきものでなく、相手方に対して運送賃の支払を請求し得る権利を取得するということを理由とするものであるから、これらの判例をもって原告が野瀬に対して支払った金員が、その賠償を求め得る損害であるということを推論させる判例であるとはいえないのみでなく、訴訟上の証言、供述に対する対価と地代家賃統制令違反の権利金、賃料、あるいは無免許営業に基く運送賃とでは、その違法性に著しい差異があると考えられることからしても、原告の右主張も採用できない。
(2) 松島弁護士に支払った二十万円について、原告が前記両訴訟事件を委任した松島弁護士に対して、両訴訟事件の着手金成功報酬として合計二十万円を支払ったことは前記(二)の(7)に認定したとおりであり、両訴訟事件の訴訟法上の訴額、甲第三十五号証、および弁論の全趣旨によると、右の金額は、両訴訟事件を委任した弁護士に対する着手金、成功報酬としての相当額の範囲内であると認められる。
(3) 慰謝料額について、原告は損害賠償における慰謝料の補充、補完性を理由として、原告が遠藤正直(三和治金工業)に九十五万円を支払ったことによる同額の損害、昭和四十年三月一日から同年九月末日までの間本件建物敷地を被告が権原なくして占有し、原告が使用収益することができなかったことによる損害二十八万円の賠償を含めて、慰謝料百三十三万円の支払いを求めると主張する。しかしながら、不法行為の被害者が蒙った財産上の損害が、その損害の性質上その数額を立証、算定することが不可能ないしは困難である場合に、そのことを慰謝料額の算定について斟酌するということが肯定される場合があるとしても、原告が主張する右のような損害額の立証、算定の容易な財産上の損害の賠償を、慰謝料の支払いとして求めることはできず、また、右のような損害を慰謝料額の算定について斟酌することは相当でないと考える。(原告が当初右の損害を財産上の損害自体として、その賠償を求めていたにかかわらず、後にその賠償を慰謝料として求めることに変更したことは、明らかである。そして、原告が遠藤(三和治金工業)に対して九十万円を支払ったことは、前記(二)の(4)に認定したとおりであるが、右九十万円の支払いが、被告の前記認定の不法行為と因果関係があることを認めるに足りる証拠はない。また原告本人の供述のうちには、遠藤に対して真実の証言をする対価として二回にわたって七十五万円を支払った旨の供述があるが、仮に原告が右供述のとおりの趣旨で遠藤に対して金員を支払ったのであれば、その支払いによる損失が賠償を求めることができないものであることは前記のとおりである。また、原告は、本件建物敷地の使用収益ができなかったことによって原告が蒙った損害の立証については、特段の証拠を提出していないのである。)そして、被告の前記の不法行為によって、原告が財産上の損害のほかに、慰謝料の支払いを受けるべき精神上、肉体上、およびその他の無形の損害を蒙ったことを認めるに足りる証拠はない。
結論
以上のとおりであるから、原告の本件請求は、右(四)の(2)の松島弁護士に対して二十万円を支払ったことによる同額の損害の賠償として、被告に対して二十万円、およびこれに対する右損害発生の後である昭和四十一年二月十三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がない。
よって、原告の請求を右の理由のある限度において容認し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 寺井忠)
<以下省略>